紙上のモダニズム
1920-30年代日本のグラフィックデザイン

会期
2003年10月8日~2004年3月5日
会場
Pam B 館

ふたつの世界大戦に挟まれた1920年代、30年代の日本は、激動と変革の時代でした。関東大震災後の近代都市の出現、世界恐慌に伴う金融経済の破綻、ファシズムの台頭といったさまざまな問題が社会を揺るがすなかで、グラフィック・デザイン界も一大変革期を迎えます。

最初の転機は1920年代半ばに訪れました。ポスター研究団体「七人社」(1925年)と広告デザイナーの職能団体「商業美術家協会」(1926年)の登場です。後にデザイン界のパイオニアと位置づけられる杉浦非水、濱田増治、多田北烏らが牽引した両団体の出現は、表現面での刷新だけでなく、デザイナーの社会的な地位向上をも目指した点で、本格的なデザイン運動の幕開けを告げるものだったといえます。

1930年代になるとさらなる変化が訪れます。1920年代のそれが欧米のデザイン様式を礎にしていたのに対して、日本独自のデザインを模索する世代 -原弘、河野鷹思、奥山儀八郎らが台頭するからです。彼らは欧米の近代的な表現を咀嚼したうえで、“日本”というテーマに果敢に挑戦していきます。例えば、原は1932年に「新活版術研究」を著してヤン・チヒョルトらのタイポグラフィ運動を支持しますが、ここで彼が主張しているのはその直訳的な実践ではなく、日本語という問題に根ざした“和製ノイエ・テュポグラフィ”の確立でした。同様に映画広告に携わっていた河野も、ロシアの前衛的な映画ポスター表現に強く共感する一方で、表現上の絶対的な自由を主張して邦画独自の広告表現を模索していきます。また奥山は、木版画という伝統的な手法に現代的な感覚を加味して独自の表現世界を育んでいきます。彼らに共通する点は、同時代感としての“近代”と風土としての“日本”を同列に捉えていることで、その活動の根元は“日本独自のモダンデザイン”へのまなざしだったといえます。

本展は、特種製紙コレクションのなかから厳選したポスター、新聞広告、書籍・雑誌、パッケージなど約300点で構成され、日本のグラフィック・デザインの草創期の姿を振り返るとともに、そこで試みられた独自のデザインを再発見しようとするものです。

紙上のモダニズム
会場写真